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松代と紅梅白梅童子(土神)の子。
1030年8月~1032年4月
百裂夕太拳 創作
一卵性双生児の弟くんのほう。兄は朝太。
拳法家の職業は、剣の道を兄弟揃って継いでほしいという母親の意向(紅梅白梅童子と同様、そっくりな2人がお揃いの戦装束を着ている姿を見てみたかっただけw)を夕太本人が完全に無視して決定。
口うるさく指図する律(夕太にはそう見える)のいないところでは、羽を伸ばしまくり。
律がいないと締まりのない弟を見かねて何とかしようとする兄の朝太ですが、朝太の言うことなんて耳を貸そうともしません。
討伐の無いときは、都の女性方を口説きにまわる好色家。
討伐帰りでも、どこにそんな元気が残っているのかと一族に疎まれながらも、美人さんを探してどこかへ行ってしまいます。
迷宮と花街を行ったり来たりの人生で、屋敷で姿を見ることがあまりなかった様子。
一卵性の二人目は着物の着かたが死に装束じゃないかと気になさる方も多かったそうですが、伊達男を気取る彼にとってこれは、ファッションの一環だそう。
周りと差をつけたいがために一風変わったことをしてみたかったようです。
ただし、そんな彼に向って「うわ~!死に装束じゃん!」との旨の発言は厳禁。
心の風が強いせいかどこが気に入っているのかもわからないファッションでも、とりあえずは褒めておくことが大事w
外見の話でいくと他にも、本人は髪の色が自慢のよう。
ですが、他人が見ると、自慢に値するほどの人と違う魅力も特に感じられませんw
ぶっちゃけ、兄の朝太と髪型・髪色ともに全く同じように思われているww
本人曰く「オレの髪にはグラデーションがかかってるんだ!( `ー´)ノ」
…ですが、一族の反応はというと「目を凝らして見るとそんな気がしなくもない」という程度。
遺言ではすごく格好いいことをのたもうてますが(笑)、「これ言ったら格好良くね?ワクワクv」と、ただ言ってみたかっただけだと思われるw
敦賀ノ真名姫と交神――ナギ
松代と紅梅白梅童子(土神)の子。
1030年8月~1032年4月
一卵性双生児のお兄ちゃんのほう。弟は夕太。
剣士の職業は、母親の松代から継ぎました。
弟の夕太が剣の職を拒否ったせいで、そのツケが回ってきた感じ。
始まりはこれでも、4つの特殊効果が備わった特注剣「秘剣渚刀」を振るうのは楽しく、能力や性にも合っていたようです。
自分が強くなればなるほどなお一層、それに応えてくれる先祖代々の特注剣…。
松代がついこの前まで使っていた剣ということもあって、剣を握っていると母親の温もりと激励が感じられるようでした。
初陣の頃には、剣が朝太を育て、朝太が剣を育てる関係に。
モグラの愛称は、屋敷内からほとんど外に出ることがなかったから。
出るとしても、討伐に出かける早朝か、討伐から帰ってくる夕方か。
討伐に出る以外は、まるで引きこもりのような生活。
なぜこんな生活を送るようになったかという原因は、だいたいが弟のせい。
朝太には、都でもやんちゃ・好色家で有名な弟と一卵性双生児として一緒に産まれてきてしまった過去があるわけで(笑)。
昼間に外を歩いていると、弟と間違えられて見ず知らずの美人さんから声をかけられて困惑する事態に。
剣の道一筋で生きている朝太には、こんな時にどう振る舞っていいのかもわからず、立ち尽くして固まってしまうだけw
3日ほどこのような事態が立て続けに起こってからというもの、昼間に外に出ることはめったになくなってしまいました。
夕太はそのようなことはいさ知らず。
皮肉なことに、モグラの愛称を最初に口にしたのは元凶である夕太なのですw
ほろ酔い桜と交神――集人
黎と月舘ノ富士(火神)の子。
1030年6月~1032年1月
第16代目 当主
流行り病の全盛期に来訪。
来訪直後の律の指導者は、闘病中で気分の優れない黎。
1ヶ月訓練を受けて心が通い始めたというときに、黎が永眠。
その翌月、当主(松代)は訳のわかンないことを叫んで走り回っている。
変な家に来てしまったと気づいた頃には手遅れで、あろうことか2ヶ月目の指導者はその狂人当主ww
頼りの綱の砂姫子は、顔色が優れず、こちらは明らかにしんどそう。
来訪時、イツ花に「性格は豪快そのもの!!」と言われた律。
大人しく狂人当主に訓練を受けるわけもなく、早朝に屋敷を抜け出して逃走したことも。
きっかけはどうであれ、来訪まもなくで単体行動に慣れてしまったよう。
単体行動で養われた自立心と自律心、判断力はピカイチ。
たった一人で出陣したことも2度ありました。
律がこんなにも精神的に強い当主になったわけは、他にもありました。
一人きりの初陣から帰ると、当主の砂姫子が危篤状態。
砂姫子が亡くなると、急に一族が子どもだけになってしまう月舘家。
その中で最年長、かつ唯一出陣経験もあった律に、白羽の矢が立ちました。
そんな事情があって、0才3ヶ月で当主に就任。
0才1ヶ月の男の子二人と、来訪したて0ヶ月の女の子一人の面倒を見つつ、同時に自らも育っていく。律の人生はそこから始まったのでした。
永眠時、イツ花からかけられた言葉は、
「いつもイツ花をかわいがってくださったこと 感謝しております。
長い間ご苦労様でした」。
鷲ノ宮星彦と交神――忍