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黎と月舘ノ富士(火神)の子。
1030年6月~1032年1月
第16代目 当主
流行り病の全盛期に来訪。
来訪直後の律の指導者は、闘病中で気分の優れない黎。
1ヶ月訓練を受けて心が通い始めたというときに、黎が永眠。
その翌月、当主(松代)は訳のわかンないことを叫んで走り回っている。
変な家に来てしまったと気づいた頃には手遅れで、あろうことか2ヶ月目の指導者はその狂人当主ww
頼りの綱の砂姫子は、顔色が優れず、こちらは明らかにしんどそう。
来訪時、イツ花に「性格は豪快そのもの!!」と言われた律。
大人しく狂人当主に訓練を受けるわけもなく、早朝に屋敷を抜け出して逃走したことも。
きっかけはどうであれ、来訪まもなくで単体行動に慣れてしまったよう。
単体行動で養われた自立心と自律心、判断力はピカイチ。
たった一人で出陣したことも2度ありました。
律がこんなにも精神的に強い当主になったわけは、他にもありました。
一人きりの初陣から帰ると、当主の砂姫子が危篤状態。
砂姫子が亡くなると、急に一族が子どもだけになってしまう月舘家。
その中で最年長、かつ唯一出陣経験もあった律に、白羽の矢が立ちました。
そんな事情があって、0才3ヶ月で当主に就任。
0才1ヶ月の男の子二人と、来訪したて0ヶ月の女の子一人の面倒を見つつ、同時に自らも育っていく。律の人生はそこから始まったのでした。
永眠時、イツ花からかけられた言葉は、
「いつもイツ花をかわいがってくださったこと 感謝しております。
長い間ご苦労様でした」。
鷲ノ宮星彦と交神――忍